120425
被災地で絵本を受け取った方からの葉書

先日、お子さんを亡くされたご両親から
寄贈絵本の申し込みがありました。
出来上がった絵本をお送りして十日ほど経った頃
受領葉書を受け取った寄贈団体から
コメントが書かれた葉書のコピーが送られてきました。

「津波は私達から(お子さんの名前)を連れ去って
しまっただけでなく、(お子さんの名前)との
思い出の物をも奪っていきました。
『大切なわが子へ』は、新しい(お子さんの名前)との
思い出の品になりました。
毎日、仏前で読んでいます。
ありがとうございました。」

ちょうど、新聞社に寄贈絵本の記事化を
お願いする準備をしていますので
名前を伏せて、葉書のコメントを公開させてほしいと
許諾のお願いメールをお送りしました。
私達がどれだけたくさんの説明資料を準備しても
実際に絵本を受け取られた方からの一枚の葉書の前では
すべてが霞んでしまうように思えたからです。

数時間後に返信があり、このように書かれていました。

「毎日、仏前で、いただいた絵本『大切なわが子へ』を
(お子さんの名前)に読んでいます。
職場に(お子さんの名前)と同級生のお子さんを亡くした人にも
この絵本を紹介しました!直ぐに申し込んだようです!
私の拙い文章でこの絵本の事を紹介できるのであれば、
使って下さい。
ただ、名前は出さないでいただければ幸いです。

本当にわが子の名前が入ってる絵本は宝物です!
ありがとうございます。」

「子を亡くされた親の心象」を推測・想像し
文章を考えましたが、現実にどのように
受け止められるのだろうかと、不安な気持ちがありました。
人の感性・感覚はそれぞれ異なりますので。
でも、まだたったの一例ではありますが
現実に愛するお子さんを亡くされたお母さまからの
コメントを読んで、推測と想像で練られた文章が
心を開いて受け止められたと実感し、安堵とともに
嬉しさと達成感を感じることができました。

すぐに、お礼のメールを送りました。

「早速のご回答を有難うございました。
お礼申し上げます。
少しでもお役に立てれば大変嬉しく思います。
同じ状況の方にもご紹介くださり有難うございます。

私たちの次男は、出産直前に胎内で水疱瘡に感染し
出産数日後に入院したのですが、夜通し
保育器の中の子どもを見守っていました。
早朝から呼吸停止状態になり、あっという間に
全身が土色に変色しました。
手を握って名前を呼ぶと蘇生するということを
何度も繰り返しました。
目の前で死線を往き来する、
わが子の必死な姿を凝視するというのは
親にとってはとても残酷なものです。
今でも、決して忘れない情景です。
あのときの経験がなければ、死産版の文章や
このたびの特別版の文章は書けなかったと思います。

次男は肺炎も併発し、四週間を感染症専門病院で
過ごしたのですが、奇跡的に帰還しました。
そのせいか、普通より発育が遅くて
半分諦めてのんびり育てましたが、
徐々に好きなことを見つけて勉強し
今では、コンピュータでの製作作業を
手伝ってくれています。

お送りした絵本をはじめ、すべての絵本は
次男が社内で製作しています。
ですから、お子さんを亡くされた皆さんが
心の中の重荷を、少しでも軽くしていただければ
とても嬉しく思います。

有難うございました。
重ねてお礼申し上げます。」

この特別版の文章を、千歳空港のホテルの部屋で
一気に作り上げたのは、昨年の5月末です。
それから企画書、提案書、サイトの作成、
説明や折衝と時間が流れ、寄贈申し込みは
3月から徐々に始まっています。
発案からもうじき一年になりますが、
感じたままに進んできた方向は
間違っていなかったなと、ようやく心の中の
何かが融解した感じがします。

善良で無実の人間が、
なぜ過酷な苦難を背負わなくてはいけないのか。
誰もが納得・理解できる
合理的・論理的な説明をできる人はいないでしょう。
でも、人知れず苦難を背負い、その苦難と向き合って
生きてきた人には、理解できるのではないかと思います。
ときには、数年、あるいは数十年かかるかもしれませんが
いつかきっと、心の中で納得さできるときが
訪れるのだと思います。

人生が、それほどに深遠なものなのだと理解するには
年数がかかるものなのでしょう。

      ブログ「昼寝ネコの雑記帳」から転載