120203
なぜ非常時の備蓄を考える機会があるのか

質問や疑問には、明確に答えられるものと
答えられないものがあります。
例えば、このたびの東日本大震災で
子どもからお年寄りまで、実にたくさんの
人たちが尊い命を失い、あるいはまだ
行方不明になっているのでしょうか。
善良な市民が、なぜ突然起きた災害に
遭わなければいけなかったのでしょうか。

一体、誰に答えられるでしょう。
一生、その答えを得ない人もいるでしょうし、
いつにか、何かしらの納得できる答えを
得られる人もいるでしょう。
それほど、苦難や苦痛を直視し、
現実を受け容れるのは容易ではありません。

さて、日本にはまだまだ不安や懸念の材料があります。
世界から見て、日本は渡航するのをためらう
国になっているという人もいます。
なぜ、今、私たちは、非常時の
備蓄を考える機会に直面しているのでしょうか。
これにも、明確に、誰もが納得できる
答えを与えることは難しいと思います。

非常事態、破綻要因、いざとなったら・・・
など、仮定の話ではあっても
多くの人が、ある種の「覚醒」を経験していると
思っています。
つまり、これまではあまり関心がなかった、
食糧の自給率、国際政治・経済、流通インフラ、
数え上げればきりがありません。
で、それらの疑問に対する答えを
どこから得るのが適切か、という疑問に
突き当たります。
疑問は成長の良き機会なのです。

人生観、価値観の側面からも、
それらを見直して再構築する機会になります。
家族関係や友人関係も、見直す機会に
なるかもしれません。

つまり、不安な状況ではありますが
これを機会に、私たちは
人間として多くを学ぶことができるのです。
そして、そう思えるかどうか、
適切に備えを実行するかどうかが
これからの人生への分岐点になると思います。
いささか精神論ではありますが、
でも、実は、こういうときには
精神的な安定、冷静さも大変重要な
備蓄要素であると、常々思っています。
そう思いませんか?