111115
自殺を選択する人しない人

ある日、全然面識のない男性からメールが届いた。
鬱病だというので、ああ、そうなのか
とまあ、普通に短いメールのやりとりを続けていたのだが
ある日、「死にたい」というメッセージを送ってきた。
鬱病の人を励ましてはいけない、と聞いていたのだが
勝手に死ねば、などと言えるわけもなく
仕方がないので、自分の持病を極端に悪化させて
身体がつらくてつらくて・・・と同情を求めた。
徐々に、体調はどうですか?
と心配してくれるようになり、
最近は、死にたいとは言わなくなったので
ほっとしている。

別のある方と、自殺に関して話題になっている。
私なぞ、間違っても自殺はしない、と思っている。
死ぬぐらいなら、どこかに隠遁して
ひっそりと暮らしたいなどと、暢気に考えている。

今日のメッセージは、以前から心の片隅にひっかかっている
太宰治の「入水心中」について、ちょっと書いてみた。
太宰人気は根強いらしいので、こんな文章を公開すると
恨まれるかもしれないけど、別にいいや。

(私のプチ太宰自殺考)
太宰って自殺願望というより
心中願望が強かったのでしょうか?
入水自殺を試みる相手が女性である、
というのが鍵なんでしょうけど。
現実の対岸に観念的な理想郷を作り、
そこに飛躍する美意識がそうさせる、
というより太宰は本能的に、
自分を絶対的に保護してくれる
「母性」に幻想を抱き続けた、
という気がします。

私は太宰研究家でもないし、
作品もほんの一部しか読んでいません。
でも、自分自身が持っているのと同じ
「現実的な苦労を知らない甘え」を、
太宰の行間に感じ、
ある種の嫌悪を抱いています。
斜陽館を訪れ、太宰が嫌悪感を感じたという
その生活空間に身を置いて、
なんとなく感じるものがありました。

私は、自己嫌悪を反動エネルギーにして
生きていますが、自殺というのではなく、
人知れぬところで埋没することに
安堵感を持ちます。ある種の、
消極的自殺願望なのかもしれませんね。
今でも「厭世観」という言葉が好きですね。
学生時代からずっとです。