081109
良き羊飼いの声

もうかれこれ十数年前、業界のツアーでスペインに行ったとき、
乾いた荒れ野をバスで走っていたら、ツアーガイドが声を発した。
「あれが羊飼いですよ」
見ると、長髪の若者が杖か何かを持って荒れ地を歩いていた。
聖書の羊飼いのイメージとはかなり違う。
羊も、数頭見えるか見えないかという少なさで、
ちょっと拍子抜けしてしまった。
旧約聖書・イザヤ書の中には確か
「羊は羊飼いの声を知っている」という表現があったはずだ。
(アハハ、ヨハネ 10:4の間違いでした)
羊たちは、自分を導く羊飼いの声を聞き分けるのだ。

現代には、いろいろな羊飼いがいて、われわれを
様々な方向に誘っている。
そのほとんどが、安全な場所に導くのではなく、
往々にして彼らの私欲のために、破滅への道を歩むことになる。

マット・デイモン主演の「グッド・シェパード」
すなわち、良き羊飼いは、CIA創設時の内情をテーマにした映画。
英国情報部に勤めるチャーリー・マフィンを主人公に
スパイ小説を書いているブライアン・フリーマントルはまた
岩波選書からCIAやKGBをテーマに本を出している。
日本には正規のカウンターインテリジェンス、すなわち
防諜機関がないとされており、スパイ天国ともいわれている。
だから、日本でスパイという言葉を聞いても、おそらく
映画や小説の中の出来事という程度の認識しか
ないのではないだろうか。

マット・デイモンが、記憶を失ったCIA要員を演じた
ボーンシリーズを観て以来なのだが、
不思議と似たような設定が続いているように思う。

人生とは、表面で見るだけでは理解不能な
それぞれの陰影を抱えているように思う。
子どものころは、何を見ても見えたままの姿を
平面的に捉えるが、人生をある程度生きてくると、
何も語らないちょっとした言葉遣いや表情に
その人の人生の陰影が見え隠れすることが多い。

私自身は、現在でも良き羊飼いの声が存在することを知っているが
あまりにも多くの雑音にかき消され、
耳には届きにくいことも知っている。
職業上、すべてを疑わなくてはいけない人間は
常に緊張を強いられ、強靱な神経を必要とする。
だが、そんな立場の人間でも・・・いや
そんな状況に置かれた人間ほど、心から安心して
くつろげる、平安な人間関係を求めているものだ。
ほとんどの人間が、最後の最後まで・・・
たとえ何度裏切られて、何度傷つこうが
警戒心を解き、心を開ける相手の出現を、密かに望んでいる。
それがグッド・シェパードの根底にある
テーマなのだろうと、ふと思った。

それにしても、小説はペン1本で書けるが、
映画は膨大な人力と才能と費用の結集した
総合芸術であることを改めて痛感した。